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昨夜、久しぶりに寝耳にラジオのない一夜を過ごした。春呼が残してくれた仲間達とのキャンプの夜。ラジオの音がないとなんとなく不安で仕方がない。それは、時刻を知るのと寝耳にすばらしい話が入ってこないからだ。そんな夜はもう10年以上続いている。つい先日は真夜中。由紀さおり。「夜明けのスキャット」が大ヒットして印税が入ってきたときに曲を作った大先生から「大金が入ったら何に使うかね?」と由紀さおりが聞かれ「全部貯金します!」とこたえると「半分は貯金して、半分は自分に投資しなさい」と言われて今に至っていると言っていた。その当時の印税を自主コンサートという形で今まで続けてきているという。(だったと思う)。私にとってのクオリティ(=質)ってなんだろう。例えば、今宝くじが当たって身に余る大金が手に入ったら。当分は遊んで暮らす。すべて貯金する。どっちもなくて半々。それは生き方だろうな。遊びに使っても、貯金に使っても、半々にしても。生き方。生きるために使うならどう使うか。生きる質を高めるために使えたら最高だろう。マズローの言うところの「自己実現」か。そんなことを考えさせてくれた。

思えば私にとっての「クオリティ」って考えてみると。長い間多種選択取捨選択してきたなかで残っているモノなのだろうと考えてみた。私の戦闘服「リーバイスの501,502」はかれこれ40年以上のつきあい。これは私にとって上質のウエアーでしかない。誰がなんと言おうと死ぬまで添い遂げるだろう。高校1年生の時に出会ったポパイがきっかけだ。次に永いつきあいは、薪ストーブ。20数年前に建てた1棟目の自邸に初めて導入した。現在の薪ストーブも同じ機種。今では廃盤。愛用している優秀な生活道具だ。次に永いのは。。その当時からつきあっている会社の同僚。仲間達。先月皆で先輩をお祝いした。その次は、春呼が縁でつきあい始めたキャンプ仲間達。かれこれ10年くらいになる。モノからハートになりつつある。プライスレスなものが大切になってきている。ありがたい。人生のクオリティはお金で買えないもの。物欲はふつふつ沸いて消えないが、満たしてくれるのはモノよりハート。なかなか釣れない奴も私のハートに火をつけるのは今でもかわらない。小学校3年生の時の川釣りで悔しい思いをしてから今でも変わらない。

私の仕事は今。ある人が人生をかけたすまいをつくる際のアドバイザー。道案内。設計者。建築家。をやっている。私が職能としてできる最低限のことは「安全に・健康に・末永く」というハードを造ることが大前提。それに加えて、私がすまいをつくるとしたら何を一番に大切にしていくかということをお伝えしている。それは建築家と言われる{設計者、工務店、職人さん}皆が日々すまいを真剣に考え職能として発揮していることだと思う。これからすまいをつくろうとする方は、それぞれの段階でそれぞれの建築家が生き様を披露してくれるプロセスを選択していくと良いと思う。自分を隠していては信用ならない。それぞれ生きることに真剣であると職務にも真剣なはずだ。真剣に生きることは永い間に身から染み出ていると信じたい。私はリーバイス、薪ストーブ、昔の仲間、キャンプ仲間、釣れない釣りを通じて建築家としての質を高めていきたいと思う。

先日。私から最も遠いジャズミュージシャンであったセロニアス・モンクが寝耳にやってきた。どうしてもその曲の正体が知りたくて起き抜けに検索。それは「ミステリオーソ」というソニーロリンズとの競演だった。やっぱり、寝耳にラジオは私の生きるクオリティを高めてくれている。


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