////////////  この記事は「関東大震災の思い出 追録」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえる大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   /////////////


 私の出生は明治35年(1902)西浦賀の旧浦賀奉行所跡地に隣接した所です。

 当時私は22才(数え年)、東京築地の工手学校(現工学院大学の前身)の機械科を卒業し、製図工として、浦賀ドックエ場に勤め始めて間もない時でした。
 設計課の建物はドックの西側、木造3階建ての大きな施設でした。

 昼休みは11時30分から12時30分の1時間、すでに昼食は済ませ、7.8人の仲間と3階の広間で雑談をしながらの休憩中でした。ちょうどその時あの大地震、建物はまるで波打つようなゆれ方、私は夢中で側にあった大机の下に反射的にもぐり込んだ。こんな状態のまま、建物は潰れた。気がついて見ると、2階はどこへ行ったのやら、1階の天丼に3階の床がぴったりと居すわった形、いいあんばいに私はどこも怪我はしなかった。

 身近の仲間の内には潰されたものもあったようだったが...。この直後の行動については、不思議とはっきりした意識が残っていないのだが...。

 私はひとまず「自宅は?」と気になったので、11時半頃になって家へと戻った。

 この時は己に途中の愛宕山一帯は山崩れで通れない。崩れた上を御番所(旧回船番所)跡地へと出た。御番所南側はずれに石平(石工屋)西野(酒雑貨商)と続いていたのだが、その西野宅では裏山の崩壊で家族4人が犠牲となったとの事。

 そしてすでに亡くなっていたようだったが、主婦の方の遺体を4人の人の手で戸板に乗せ、御屋敷(旧奉行所)奥の自宅に運ぼうとしているのにも出会った。

 更に進んでお屋敷跡に来た。ここにはすでに大勢の人達が避難していた。

 その先にあった自宅は、隣家、またそのすぐ隣と続けざまに全壊したのに、まがりなりにも潰れずに建っていた。そして、家族全員にも異常はなかった。

 一安心と後事は頼んで、4時半ころまた再び、山越して会社へと引き返した。そして仲間等と救出活動その他に従った。

 事務所から県道をへだてて表倶楽部がある。その倶楽部やその中庭に怪我人を運び、その応急手当てをするのだ。中には意識不明の重傷者も居た。家族との連絡のとれない方も居た。こうして夜を徹して世話をし続けた。

 この晩が過ぎ、2日の朝を迎えた。1日の晩は、遅くなっても家に帰らなかったので家では心配して、弟(永嶋照之助)が見に来てくれた。9時頃だった。

 重傷者の中の高橋さん(武山村太田和在住)は頭骸骨骨折で意識不明の重体、そしてまだ家との連絡がとれていない。

 「衣笠十字路を左折南進しトンネルを2つ通り抜けた辺りで聞けばわかるであろうから、急いで知らせに行って欲しい。」と弟に頼んだ。

 弟(18才)は自転車で行ってくれた。正午も過ぎ夕方近くになって、赤児を背負った妻君を連れて弟は帰って来た。

 奥さんは死に目には間に合ったものの会話はすでに出来なかったようだった。

 あとで聞いた事だが、高橋さんの命日は9月2日になっているとの事だったので、翌3日には他界されたのでしょう。

 会社は暫くの間、休業状態になり、その間私は殆んど泊りがけで後片付等に従事した。

 そして9月15日、タグボート館浦丸を東京に出すとの事だったので、それに便乗して上京した。その時、私は米、かつおぶし等持参した。

 東京には叔父、叔母、それに養子に行っていた弟(長島人郎氏)の家族が居た。しかし、いいあんばいに家は焼けたり、壊れたりしたものの、命にかかわる様な事故もなくて済んだ事はなによりの事だった。

 東京滞在約1週間、その間一面の焼け野原になった市街地、馬や牛、人の死骸の川の中に浮いているのを見かけたりもした。

 9月25日久しぶりに会社に出向いた。その月末、会社は救護や片付けに奉仕した方々に感謝状を贈ってその労をねぎらつた。

 しかしどうした訳か、私はその選に漏れて何の沙汰もないまま、過ぎてしまった。後味のよくない思いがいつまでも残った。

 年が改まり大正13年の春になった。私は浦賀ドックを辞め東京のタツノ製作所(ガソリンスタンドのメーカー)に勤める事になった。途中で係累会社の京都トミナガ製作所に移ったが、戦前戦中戦後と一途にこの道のために尽くし、重役、社長、会長、顧間のコースを経、今(1996年)95才(数え年)、京都の西、仁和寺に程近い郊外で老妻と余生を静かに過ごしている次第です。

平成8年9月1日



出典:関東大震災の思い出 追録(平成8年11月3日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


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