////////////  この記事は「関東大震災の思い出 追録」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえる大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   /////////////


 当時私は15才、横須賀中学校3年生でした。その頃の中学校は夏休みが9月5日迄ありました。大地震のあった9月1日は宿題をしなければというので、野比海岸近くの同級生永塚善治君(故人)の家を訪ね、宿題整理をしていました。
 正午近くなったので、私は勉強を終えて、一旦家ヘ帰り昼食をして、午後は野比の海で泳ごうと約束して永塚君の家をあとにしました。すぐ近くの三崎街道(浦賀より下浦を経て三崎に至る街道)の広い道に出た時、突然向かい側の山の全体が大嵐のようにざわめき出しました。変だなと思う間もなく、妙な地うなりがしたと思ううちに足もとの地面が激しくゆれ出しました。丁度荒海で小舟に乗っているような感じで立って居られず、転んで這つてそばの垣根につかまりすくんでしまいました。

 幾度も大きなゆれがきて、目の前の道路がひび割れしました。又道路添での電柱が激しくゆれて、電線が切れ垂れ下がってきました。そのうち後方で大きな音がして、白い煙りが立ち上りました。その時は夢中でしたが、それは近所のお店や家々が倒れる音とその砂煙でした。

 大揺れがおさまってからひび割れた田んぼ道を這うようにして我が家への道を辿りました。

 家の近くまでくると、全壊の山田さんの家から「この中におばあさんがいる!助けて!」と言う叫び声急いで駆けつけ、倒れた家の柱に挟まったおばあさんを助け出しました。このおばあさんはこの時の怪我がもとでじきに亡くなりました。

 さてそれから我が家(最蔵寺)の石段を上ってはっと驚きました。高くそびえていた大きな屋根が地面にぴったりついていました。大きな柱は真横に倒れ、その上に屋根が落ちていたのです。側の庫裏は斜めに傾き倒壊寸前の有り様でした。それでも家族は皆無事でほっとしました。

 当時家には80才になる祖母が居りました。いつもは本堂の一隅で涼をとって居たのですが、この日は前日、三崎の親戚に行って留守でした。

 余震が次々と来るので、家の中には入れません。この合間をみて庭のすみに、ござ、むしろを敷き休み場をつくりました。

 2時ごろでしたか、北方の空に黒い雲が湧き上がり、次第に空一杯になり、夕方には皆既日食のように暗くなりました。天変地異という言葉通りこの世も終わりかと思われました。これは横須賀市街地の大火災の黒煙でした。

 夕方から夜になっても余震は続きました。家へは入れませんから庭の隅に棒を立て、蚊帳をつり家の中からおそるおそる毛布等を運び出しローソクの火を頼りに野宿をしました。それが幾晩続いたかははっきりしません。

 翌2日親戚が心配というので私は大きな握り飯を幾つも作つてもらい、それを背負って親戚見舞いに出かけました。最初は三崎の叔父の所です。三崎街道を歩きましたが、道路は割れ日で車の交通は途絶して歩行がやっとでした。道路添いに点々としてある家屋は倒壊、または斜めに傾き、2階屋は1階がつぶれ2階が地面について居りました。野比海岸は砂浜が広くなって、私たちが海にもぐって貝や海草をとって遊んだ岩が海辺に大きく浮き出て居りました。1メートル以上隆起したのです。

 三崎の親戚では家も人も無事。特に祖母が元気だったので何よりうれしかったです。然し、三崎町の中央から港辺りにかけては大火事で、灰の街となっていました。

 次に横須賀中央辺りを目指して出発しました。高円坊の原っぱや広い西瓜畑にも大小の割れ目が目立ち、また沿道の家も大方傾いたり、倒れたりしていました。

 横須賀の街に入り佐野に在った叔母の所に着きました。家は傾き瓦が少し落ちて居りましたが、皆無事でほっとしました。中央下町辺りは大火事で大変。また、崖崩れもあり、「危ないから行くな。」と言われました。どこを見ても大変だったことと、怪我人を車で病院へ運ぶ人の姿が印象に深く残って居ります。

 それからどこを通ったか分かりませんが、無事帰宅してみんなで喜び合いました。

 野宿にローソクが無くなり、遠くまで探しに行った事、食べる物を近所で融通し合ったこと、傾いた家を近所の人々に直してもらったこと。

 日時は忘れましたが、父(住職)と共に倒れた本堂の下敷きとなっている奥(宮)殿へ大苦心をして入りこみ、ご本尊を家へお迎えしました。ご本尊はお顔や肩にかすり傷を負われてはおりましたが、無事安泰で感謝いたしました。思い出はつきません。

 マグニチュード7.9という古今稀な大地震に遭遇して極度の困難を乗り越えてきましたので、70年経った今日も貴い体験として脳裏に深く刻み込まれて居ります。





出典:関東大震災の思い出 追録(平成8年11月3日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


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