090222_h.jpg


私が卒業した大学の研究室OB・学生が参加するメーリングリストで興味深い投稿があった。『住宅市場に"質の競争"を 〜建築基準法の本質的欠陥と改正提言〜 東京財団政策研究部 2009年2月』に対して、意見を求むという投稿だ。

090222-01.jpg


東京財団のサイトより

これは、建築関係者はもとより、是非これからすまいを購入あるいは建築しようとする一般生活者にも読んでもらいたい。

//////////////////////////////// 以下に一部引用 ////////////////////////////////

現行建築法制の最大の問題点

阪神淡路大震災、そして耐震強度偽装事件が我々に突きつけた問題は、どうすれば日本人が安全で質の高い住宅を手に入れるかということである。今回の一連の法改正は、日本の住宅の耐震性能の向上につながるだろうか。残念ながらその可能性は低いといわざるをえない。なぜなら現在の建築法制における最大の問題点に手をつけていないからだ。特にマンションに関しては、阪神・淡路大震災から現在に至るまで何も変わっていない。

最大の問題点とは、建築基準法の定める耐震基準に対する国民の認識と実態にギャップがあり、それが原因で安全を売り物にした建物を供給する住宅市場が十分に育っていないということである。建築基準法第一条は、「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする」と規定する。
 
そもそも建築基準法は1950年、日本が第二次大戦の破壊からまだ立ち直っておらず、バラック同然の家が次々建てられていく中、そこそこ倒れない、燃えないという意味での「最低基準」を定めるために作られた法律である。1981年の新耐震基準など幾多の改正を経た今でも、その基本精神は変わっていない。
 
当然、耐震性能についてもあくまで「最低の基準」である。その意味は、わかりやすく言えば「震度6強の地震が来ても倒壊しない(すなわち建物の中にいる人は死なない)」という程度のものにすぎない。当然震度6強でも半壊し建て替えが必要になるケースもあるし、震度7の地震には倒壊し、人命が失われるケースもある。
 
一般国民の感覚からすると建築基準法を守ることにより大地震に対しても十分な安全性を備えていると考えがちであるが、そうではない。一部のディベロッパーなどはその誤解を利用し、顧客から耐震性能について問われた際に「建築基準法の基準を満たしているので耐震性能には何の問題もありません」などと説明する場合もある。また、建築確認を通ったことで国のお墨付きを得たような錯覚が生じてしまうという点も大きい。こうして、国民の間に一種の"安全幻想"のようなものが生まれており、多くの人々が意味を知らぬままに最低基準のマンションに住み続けている。

加えて問題なのは、建物の建設コストと耐震性能についての国民一般の認識の歪みである。建築基準法に定める最低限の耐震性能を1としたとき(「住宅品確法」における耐震等級1)、その1.5倍の地震力に耐えられるように(耐震等級3)にするために必要なコストは3?5%にすぎない。ところが、慶應義塾大学の小檜山雅之氏らが実施したアンケート調査によると、消費者の8割以上がそのコストを10%以上と過大に見積もっている。

また、同調査によると震度6強の地震にも対しても補修負担額200万円以下の比較的小さな被害を望む消費者が全体の50%を超えており、基準法における最低限の耐震性能しか持たない住宅ではこの要望に応えられていないことがわかる。このように、国民のニーズに沿った住宅が供給されておらず、そのこと自体に国民が気づいていないという現状がある。

//////////////////////////////// 引用終了 ////////////////////////////////


この提言書での"質"は、建築の構造的な質に偏っているが、もっとも一般生活者にはわかりにくい部分であるだけに意義深い。一時期、一般生活者の口からも出てきた内断熱・外断熱の話、仕上げ材としての珪藻土の話、新月の木などは、具体的に見えることもあり、一度自分のすまいをつくろうと考えたことがある人ならば知っている。それらに比べて、建て主から構造的な話は一度も出てきたことがない。私は、私の基準として、構造的な最低ラインを建築基準法の1.5倍以上と決めている。それは、地震が来るたびに心配しなければならないのが嫌だからだ。

また、私は構造的に1.5倍以上設計時点で確保していても、経年変化で劣化していくようなことも気になる。構造設計者は木造建築の場合、合板を面的構造材として使いたがるが、20年以上経った合板の姿を見たことがあるのだろうか。過酷な熱環境や湿度環境において、構造的な経年変化を想定しているのだろうか。阪神大震災直前に建築された枠組み壁工法の住宅に被害が少なく、それを商売のウリにした現地の工務店を知っているが、20年後も同程度の地震でも充分耐えると自信を持って宣伝できるだろうか。本提言書では、経年変化による構造の質の推移については触れていないが、その視点での質も整理され、オープンな情報として建築関係者のみならず、一般生活者にも浸透するのも望ましいと思う。

福田元首相が200年住宅を提言した。良質な造り方をしないと200年は持たない。少なくとも、200年メンテナンスをきちんとしないと持たない。構造的にも200年持つように計画しないと持たない。ハード的に体裁は保っていても、生活を支えるインフラとして機能しなくては意味がない。200年意味ある住宅とするには、多くの要因が重なりあう。まずは建築の(すくなくともじぶんちの)質に関して、一般生活者が知ろうと思ったときに知ることができるような情報がオープンにされることが大切だろう。多くのしがらみを全て取り去ったときに見えてくる住宅の姿は、ほんの100年ほど前の郊外の農家建築がベースになってくるのではないか。少なくとも、ガラスのドームで外界と遮断された人工環境ではないことを祈るばかりだ。


061003_header.jpg

 

▼ コメントする

▼ サイト内検索                複数キーワードは半角スペースを挿入