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今日の午後一。私のiPhoneがシエスタを破る。
誰かと思うとビジネス戦友のMさん。やれやれと出る。
「○本木工の杉山さん。亡くなったって。」
「(ん??夢か??)えええ?杉山さんが!。。」
「そう。。。。。」
「。。。。。。。。」
「厚木の吉岡さんといい、杉山さんといい、山やってる人って早いのかね」
「そうみたいだ。。。」
寝ぼけた頭を軽くたたいて夢ではないことを確信。

何軒、お世話になっただろう。
かれこれ、2000年冬から一緒に山に入ってもらっている。
一緒に山に入ったのは「湘南国際村。緑化格子のある家」から。
その後。
2001年〜○鎌倉。大黒柱のある家
2002年〜○葉山。ガレージのある家
2003年〜○藤沢。多層ワンルームの家
2004年〜○大井。土間のある家
       ○二宮。パノラマリビングのある家
       ○小田原。バラエティサロンのある家
2006年〜○葉山。丼の家
      ○葉山。四季を楽しむ家
      ○藤沢。富士見の家
2009年〜葉山。○△□の家(設計中)

晩秋設計中のお客様に南足柄の山にシンボルツリーを一本伐りに行きますか?
と訊ねるとたいがい行きたいとおっしゃられる。
年に一度あるかないかの電話に杉山さんは。
「おっ?いいよ〜。」といつも素っ気なくこたえてくれた。
2006年の冬山では、ある理由で山が買収されることになったと嬉々としていた。
もう山には入ることはできないのか?と聞くと他の山があるさ〜とまだまだ私のリクエストにこたえてくれる気満々でいた。
昨冬ひさしぶりに山で逢ったときにまだここで伐れるのか?と聞くと。
「市の財政がねえ〜」とこぼしていた。
私はまだまだいけるぞと密かに来年もとたくらんでいた。

山では素っ気ないそぶりではあるが、山への思い入れと最終的に使ってくれる生活者との交流は楽しそうだった。
一つ聞くと、三つも四つも経験談を話してくれた。
川上を見て仕事をしていためずらしい意欲的な山主かつ製材所の親父だったと思う。
まだまだ、一緒に仕事をしたいと思う人だった。
一緒に仕事をしていた弟さんがいらっしゃるので冬の伐り旬に山にはいることは可能だろうが、あのひょうひょうとして人なつっこい杉山さんと山に入れなくなるのかと思うと寂しい思いでいっぱいだ。

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2010年4月17日(土)午後10:30。
急性心筋梗塞のため急逝しました。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ申し上げます。
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とファックスが届いた。
お疲れ様でした。
まだまだ、弟さんと杉山さんの山の木は使わせてもらいますのでよろしくお願いいたします。(合掌)


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▼ コメント(2)

新月伐採のとき、極太の杉がなかなか倒れず、苦労して伐ってもらったことが、一番の思い出です。
わが家の中心にそびえ立つ尺角の大黒柱、これからもずっと大切にしていきます。

ご冥福をお祈りいたします。

そうですね。
なかなか思うように倒れませんでしたね。
急だったので私もびっくりしています。


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