●2000.10.29
やっと竣工した。
大いに悩んで決めた外壁の仕上げは、上手くいった。
天候の具合で変化するテクスチャーは、評判がいい。
今日は、引っ越しだ。
●2000.10.29
やっと竣工した。
大いに悩んで決めた外壁の仕上げは、上手くいった。
天候の具合で変化するテクスチャーは、評判がいい。
今日は、引っ越しだ。
●2000.08.13
窓上に丸太庇を取り付ける。
私が設計した建物には、必ず丸太を1/6にカットしたムクの丸太庇が付けられる。
開口部を雨から守るためという機能と堅く冷たくなりがちな建物の外装部にほっと一息抜けるような、木の暖かさを与えたいためである。
●2000.06.26
階段制作の工場チェックに行く。
階段のおおかたをこの鉄筋で造る。
この階段は縦動線以外にいろいろな意味を持っている。
●2000.06.17
上棟式、当日は、雨。
普通、骨組みだけなのだが、雨に降られると材料が汚れるので、養生シートでミイラ状態。
内部の構造材を全て露出させるので「雨のシミを付けたくないなぁ」と思っていたら、現場代理人が気をつかって、ぐるぐる巻きにしてくれたのである。
●2000.05.30
地下室にサウナをつくった。
そこの排水を地上に上げるためのポンプの検討会議。
フランス製の輸入物。
●2000.04.24地盤改良工事
地下を計画したのですが、
あと、1Mほど深いところに、
支持地盤があって、
そこまで建物の力を伝える必要があったのです。
だから、地盤改良。
●2000.04.20
「佐山さん好みの大工さんを用意しました!」
「ううう・・・」
その大工さんのところに平野さんと同行した。
結構勘違いされることが多い。
木をいっぱい、それも、荒々しい木の肌を露出することが多い私の設計は、ひとつ間違うとそば屋の成金趣味に勘違いされることが多いのだ。
私の基本は、やはりモダンだ。
●2000.04.16
実施設計も大詰めだ。
というものの、もう工事がスタートしているので、のんきに構えていられない。
明日は、Y建設工業の請負契約だ。
やるっきゃないのだ!
請負契約図面を仕上げなければ、ならないのだ!
●2000.04.07
今日は、地鎮祭だ。
3月のはじめ、プランも予算も悶々としている中で、地鎮祭の日取りだけは決まってしまった。
というのも、平野さんのお知り合いで神主さんがいらっしゃり、その方の都合が、割と詰まっているとのことだったので、一ヶ月後の日取りを決めていたのだった。
●2000.03.21
平野さんと請負業者の内定は済んでいたのだが、肝心の工事金額の確定にはほど遠かった。
午後から、Y建設工業と打ち合わせを行った。
代理人としての私の意見を素直にお話しした。
単価を比べたときに、ほとんど競合相手と同じなので、すべて、同じにできるのであれば、Yさんと仕事をしたいと伝えた。
そして、金額もさることながら、気持ちの入った、神の宿るすまいをつくりたい!それに応えてくれますか?とにじり寄ると、是非とも応えさせていただきたい!と快い返事が返ってきた。
そして、「佐山さんごのみの大工を用意してあります!きっ!!!」といわれて、ぐらっとしてしまった。
●2000.03.14
今日の午後、地下工事のヒガシカタさんと打ち合わせをする予定になっていた。
時間通りに、我が事務所にやってきた。
確認申請も出したことだし、そろそろ本格的に工事のディテールの打ち合わせとスケジュールの打ち合わせをしなければならなかった。
それより何より、まだ、元請け工事店も決まっていない。
地下工事は、ヒガシカタ組にやってもらうことは濃厚でも、請負契約はまだだった。
というこちらの設計契約もまだだった。
●2000.03.11
確認申請は、請負業者未定で出した。
しかし、住宅金融公庫の設計審査の書類は、嘘でもいいから工事業者を書いてくださいとあった。
もとえ!嘘でもいいからではなく、決まっていなくてもいいからでした・・。
(しかし、決まっていなくてもかいて!というのは嘘でもいいからと同じだと思うのだが・・)
まだ、S建設とY建設工業どちらとも決められないでいた。
悩んだ末に、嘘でもいいならと決意し、Y・・と書いて提出しておいた。
というのは、平野さんとの出会いは、S建設よりもY建設工業の方が早く、息が合っているように感じたからだった。
すまいは、その道のプロが結集してつくるものであるが、結局、ニンゲンがよってたかって造り上げるものである。
ウマが合うか、合わないかは、とても重要なことなのだ。
いろいろとお話をしているうちに、Y建設工業の担当者、ハリキリ二人組と平野さんの息が合っているようだったのだ。
●2000.02.28
お金の着地点か見えない中、確認申請の期限が迫ってくる。
住宅金融公庫を使っているので、公庫の申し込みの時点から、確認申請はいつまで、現場審査はいつまで、と期限が決められる。
一昔前は、変更の届けを出せば、それですんだのだが、世知辛い世の中、そうはいかなくなった。
お金の着地点は、いずれ見えてくる、いや!いずれ決着させると心に言い聞かせ確認申請の書類を整える作業に取りかかった。
所員が5人ほどいたときは、計画を練る時間を多く使い、確認申請の書類を整えるのは、二日でやれ!と命じていた。
まるまる二日使えば、何とかできるのである。
かつて、独立したてのころは、そうやってきた。
しかし、ほんとのところ、忙しくて二日でやったのではないのだ。
白状すると、夕方になるとクロダイを狙いにいきたくて、テキパキ仕事をしていたのだ。
ニンゲンやればできるのだ。
●2000.01.31
予算調整を考慮しながら、さらなる哲学を形にするべくプランを練りに練った。
前の晩から明け方にかけて、基本の骨子が見えてきた。
早速、形が見えたところで、ヒガシカタ氏にファックスを送った。
すると先方は待ってましたとばかりに6時間後見積もりのファックスが来た。
地下工事900万、出生値引き115万、計785万円也。
う〜ん。早まったか。
予算を言ったのが、良かったのか、悪かったのか。
ぴったりにあわせてきた。
しかし、これで地下工事の予算はずいぶんと絞ることができた。
●2000.01.24
今日は、都内で一日打ち合わせがある。
朝早く起きて、ゆっくりとお風呂に浸かる。
ゆっくりお風呂に浸かるときには、本を持って入るのが癖だ。
何気なく、本棚を物色していて、数年前に買った、地下室の本が目に留まった。
んん〜〜!チカチカ地下!とうなりながら、手に取り、バスルームに向かう。
3冊ほど、買っていたのだが、あまりよく読んでいなかった。
しかしである。
地下室は、コンクリートと思っていた私に囁きかけてきたその本は、鉄骨パネルの地下室だった。
ん?ん?ん!とそのまま読みすすみ、バスルームから出た後、都内へ向かう電車の中でも、一気に読んでしまった。
特徴は、なんと言っても水に強いらしいのである。
2000.01.23
どこから、軌道を修正していこうか・・・
少々、頭が重い。
二日酔いで重いのか、それとも・・・
予算があわないのは、いつものこと。
誤解のないように、言葉を選ばなければいけないが、最初の概算で予算通りにはまってしまうとお施主さんに対して失礼だと考えている。
工務店は嫌がるかもしれないが、敷地、予算、法規、望まれるすまい、ぎりぎりこれ以上の解は無いというところまで突き詰めていくのが、設計事務所の役割のひとつと考えている。
●2000.01.14
I工務店さんから、盛んに質疑応答書がファックスされてくる。
他は、あまりなく、各社ばらばらの出だしのようだ。
1社からは、見積が間に合わないので、提出日をずらして欲しいと何度か電話があったが、各社も同じ状況の中で見積もりしているので、予定通りでお願いしますと丁寧におことわりした。
●2000.01.06
平野さんから、ファックスが入る。
仕事始めは、1月5日だったのでファックスの内容を頭に入れる。
年末には、ほぼ全体の骨子が固まっていた。
基本計画終了といったところか。
しかし、各業者さんから、概算を取り、予算と照らし合わせて、調整を計る必要がある。
場合によっては、振り出しに戻るかもしれないのだ。
調整しながら、基本設計図書をまとめる。
●1999.12.26
住宅金融公庫申し込み書の書き方やプランの細かい修正の打ち合わせをする。
屋上菜園の問題点と対策などをお話しする。
その屋上菜園の地球規模的効果も少しだけお話しする。
それでも是非ということなので、屋上菜園計画は、決行されることとなった。
●1999.12.14
第6案を前に打ち合わせを始める。
収納の問題、和室の問題、有機的な全体のつながり。
当然、薪ストーブの問題などなど。
ほぼ、基本的なことは解決していた。
盛りだくさんなプランとなるが、方向性は決まった。
しかし、予算は限られているので、これから広げに広げた夢を現実のモノとしていくための作業をしなければならない。
実は、ここからが大きな大きな峠を登るための急坂となるのだ。
ひっそりと心臓破りの坂が、二人三脚組を待ちかまえているのだ。
●1999.12.5
ふたつのプランを前に大いに悩んでいるらしかった。
第4案は、割とオーソドックスな縦構成となっている。
第5案は、プランを見ただけでは理解しがたい、不思議なプランとなっていた。
それに薪ストーブもしっかりと納まっている。
薪ストーブの話しがでてくるまでは、絶対2階リビングを押していた私だったが、薪ストーブがでてきたおかげで、何とか1階リビングで、かつ有機的につながるすまいができないかと悩んでいた。
その悩みが、未解決ではあるが、第5案に見え隠れしていた。
●1999.11.24
使う大黒柱は、決まったもののプランは依然として暗黒の闇の中だった。
福島材料探しの二日間、車中でいろいろなお話ができた。
今まで、2プランほど提案していた。
今ひとつ、平野さんらしさにあふれたプランにはなっていない。
自分でも納得していなかった。
ボーリング調査の結果、地下水位が予想通り高かった。
その時点で、第2案の地下2層案は、あきらめた。
そして、2階リビングの第3案を提案していたのだが、自分自身今ひとつ納得していなかった。
そして、新たな条件に薪ストーブが、加わった。
薪ストーブは甘い癒しの効果を狙うだけではもったいない。
実用性も引き出したいので、薪ストーブは1階に計画し、家全体を暖めるように計画したかった。
●1999.11.18
只見に泊まった。
前の晩、突然、Hさんの新居に栗の大黒柱を使おうということになった。
そのためにこの日は、材料を求めて栗林に行くことになった。
吉津さんとHさんとクマの3人で栗林に入っていった。
よく手入れされているその栗林は、45年ほど経っているらしく、奇しくもHさんと同じ樹齢ということだった。
なにか因縁めいたものを感じながら、素直で良く育っている栗を探して歩いた。
●1999.11.17
計画当初から、福島県の只見に製材所を営んでいる友人がいると聞いていた。
本プロジェクトに是非只見の友人にも参加したいということだったので、Hさんと二人訪ねていくことにした。
事前情報によるとその方は、吉津耕一さんという方で田舎と都市とを結ぶプランナーとしても有名で、古本と林を交換しませんかという有名な企画を仕立てた人らしいのだ。
楽しみにしながら、いざ福島へ向かった。
●1999.11.12
Hさんは、積極的にいろいろな工務店さんに出向いて多角的にお話を聞いて勉強されていた。
中でもOMソーラーは是非導入したいとのことで、数多く事例を見学されていた。
この日は、Hさんの奥様のお友達の実家が工務店で、そこの設計担当の方の自邸がOMということでもあり、私も同行して小田原まで見学に行った。
●1999.10.24
Hさん一家が、わが「葉山。木・風・猫の家」にやってきた。
「健やかな庭」で予習してきたので、それほど驚かれなかった。
無垢の木まみれの空間を見て、やはり木の家はいいものだと思われたようだ。
●1999.10.09
「生活のキーワード」がファックスで届いた。
印象的なキーワードが、いくつかあった。
・サザンのバラードがいい感じで聴ける家
・宇宙の中の自分を感じられる家
・赤瀬川源平的発想(ニラを屋根に植えて欲しいのではないらしいのだが)
「う〜ん......」と考えてしまった。
茅ヶ崎に住むようになったのも裕次郎やサザンが原因ともあった。
●1999.09.06
Hさんから土地の申し込みをしたとの連絡が入る。
銀行の審査用のプランをつくる。
三角形の変形敷地であるが簡単にできる。
あくまでも審査用なのだ。
地下1階、地上2階建てのOMソーラーハウスのプランをつくる。
●1999.09.05
JR東海道線辻堂駅の前で待ち合わせをした。
待っている間、『どんなひとだったけ〜、う〜ん』と考え込んでいた。
しばらくして、私の車の後ろに1台のステーションワゴンが止まった。
『あっ、Hさんだ。』と思い出した。
見学会当日は、他の担当が説明したので名前だけでは思い出せなかったのだ。
たしか、土地を探しているらしく、『気に入った物件があったらいつでも声をかけてください。プロの目で客観的にアドバイスいたしますので。』と名刺だけを渡した人だった。
思い出した。
●1999.08.07
8/6、8/7の二日間、藤沢市湘南台で「湘南台。木・風・犬の家」の住宅見学会が行われた。
両日共、大勢の方にお越し頂き、とても暑くクラクラしながら忙しく現場案内をしていた。
建物の説明は、当事務所のスタッフと施工会社のスタッフでそれぞれに行っていた。
直接、説明することがなかった方にもご挨拶だけはさせていただいた。
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