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一人っ子の私は、友達って良いなあと思う反面、一人で遊ぶ楽しさも十分知っています。
キャロルキングとジェームステーラーの時を経た仲の良さにも嫉妬します。
とてもしみいる一曲ですね。
夫婦も最後は良い友達になれたら。
親子も最後は良い友達になれたら。
昔けんかした友達も最後は良い友達に戻れたら。
昔けんかしたどんな人たちとももう一度良い友達や夫婦や家族に戻れたら。
いいな。なんて思ってしまいました。そんなことを思わせる大好きな曲です。
我が家の裏山のあじさい公園。そろそろ見頃をむかえる。今は4分咲きといったところ。葉山に来て13年くらい経つが、あじさいの時期に行ったことがなかった。で、春呼の散歩がてらひとあるき。いろんな色のあじさいが混在しているけど、あまりぱっとしないような感じに思えたのは気のせいなのか。満開になるときれいなのだろうか。
アルバム『ベスト外道』のライナーノーツから一部抜粋
'73年10月シングル「にっぽん賛歌」でデビュー以来、全国各地でライブサーキットを展開、ぶっ飛びサーキット族とスケベな女の子達が熱狂乱舞する伝説的なライブの数々、着物・鳥居・万歳三唱を取り入れたジャパンオリエンテッドなステージパフォーマンスは海外でも評判となり、その人気が絶頂にあった'76年10月日比谷野音で突然電撃的に解散!
カイマンからJAZZ第二弾が届いた。郵便ポストに刺さっていた。そうなのだフロリダから届くCDのパッケージは郵便ポストに刺さる大きさだ。あけるとmade in UK。イギリスからフロリダに渡り葉山まで来たのか。長いなあと思う反面、欲しいものは発注すると近所の三河屋さんが持ってきてくれるようにどっからでもきてしまうんだなと。いまさらながら、感慨深い。おととい来た奴と一緒だったら送料も半分で済んだのに。貧乏くさいがエネルギーロスを考えると地球問題だとも。
第二弾は「ザ・デュオ・セッション」。レイ・ブラウン(ベース)とジミー・ロウウエルズ(ピアノ)のデュオ。CDパッケージを開けると2枚組。それも、1977年と1979年録音の別々のアルバムのカップリング。まったく知らないが良さそうだ。私はレイ・ブラウンのうたうようなベースラインと重々しいウォーキングベースがたまらなく好きだ。ジミー・ロウウエルズは初体験。夜が更けるのを待って真空管に灯を入れる。
今日は一日の終わりにジャズを浴びようかなと思うときにはその2時間くらい前から灯を入れる。真空管アンプは電源を入れて30分くらいアイドリングが必要だ。暖機運転ちゅうやつだ。まあ、めんどくさいのだがそれも楽しみの手続きというもの。今日は仕事も乗ってしまい、オリンピックも応援してしまい、結局オンから3時間も経過したところで地下にもぐる。
「あっ。このJAZZピアノ、ホンキートンクチューンではない。いいねえ。いい。ピアノって弦を叩いて音がでるんだ。」「ベースって弦をはじくんだよな」とよくわかる。(オーディオの楽しみはこの空気感を楽しむことにあるんですよ〜)しだいにそんなことはどうでも良くなり、音楽にはまっていく。質の良い芸を聞いたり見たりするとおおいに刺激される。刺激は明日への活力だ。フロリダ経由、イギリス発売、サンフランシスコ録音の音源は私に活を入れてくれた。熟練ミュージシャン二人の真剣勝負は私をもっと遠いところへ導いてくれるようだ。iTuneにはまってまんまと投資してみたのだが、思いのほかよかった。発注すると明日か明後日には来る「アスクル」や「アマゾン」。今回は半月以上至ってからの到着。その時間は良かったのかもしれない。早いが売りばかりでは疲れてしまう。忘れてしまった頃に、「おまた〜」と来るくらいのやり方で良いのではないだろうか。カイマンに少々いらだったこともあったのだがそれくらいで良いのではないだろうかとあらためて思った。それくらい届いたCDの内容が良かったので了解したのかもしれない。価格が高いか安いかは投資額ではなくその効能力によるなあと思ったのである。
仕事をしながらiTuneでForeverCool。その時によってキャンペーンがあるようだ。昨年秋から「おっ!」とか「ん?」と脳を刺激する奴がいた。どうしようもなくCDを発注してしまった。
某SNSでdArさんからミュージカルバトンを渡されました。彼女も渡されてからずいぶんと抱え込んでいたらしく(忘れていた?)、思いついたように渡されてしまいました。実はこれが流行っていた今年の6月頃、誰かからまわってこないかなあと思っていたんですが、そのまま忘れてしまっていました。残暑お見舞いよろしく昨日めぐってきたのですが、うれしいものです。『あけましておめでとうございます』とか『寒中お見舞い申し上げます』でも『暑中お見舞い申し上げます』や『残暑よろしく』ってもらうとうれしいもんですよ。『今年は喪中で〜』はいやはやなんとも・・ですが。
クマコラム
20000527
最近、中学生から大学生の頃よく聞いていた曲を聴いている。
理由は、最近車にCDチェンジャーを搭載したからなのだ。
それまでは、AMラジオの国営放送ばかり聞いていた。
やはり、年をとったかな、と思っていた。
しかし、CDチェンジャーを搭載したとたん、20年以上も若返ってしまったのである。
クマコラム
20000511
「四人囃子」「外道」「フリー」と聞いて、ピンと来る人はよっぽどの人だろう。
葉山にある唯一いい感じの居酒屋で久しぶりにグランドファンク、サンタナ、ドゥービーを堪能した。
焼酎の肴としては、まことにいいもんだった。
久しぶりに中学、高校時代に戻り、ロック談義に花が咲いた。
1970年代、管理されていない荒削りのロックは、ロックの基本スピリッツにあふれていた。
その当時の多くのギター少年たちは、ジミヘンやジェフベックに陶酔し、ペイジやクラプトンをまねていた。
そんな中で、ビートルズの青から入った私は、今ひとつそれらに乗り切れずにいた。
ビートルズの青と言えば、ロックのなかでも、ビートが利いたロックンロールが多かった。
私の場合どちらかといえば、ギターの泣きよりは、熱く燃えるビートが好きだった。
ムード歌謡的なサンタナやクラプトンは今ひとつだった。
それよりも、仮装行列はたまた大道芸人的なキッスが好きだった。
特にパンチの効いたドラムスと当時では少なくなっていた切れのいいベースが好きだった。
エアロスミスか、キッスかと聞かれれば、もちろんキッス!と今でも思っている。
久しぶりにフリーの「オール・ライト・ナウ」(1971年のライブ版)を聞いた。
シンプルなドラムスにギブソン系のコードワークが絡み合う。
これ以上シンプルなスタイルはない。
それにポール・ロジャースの独特なコブシまわしの叫びがからみついてくる。
かっこいいのだ!
ほぼ、30年ぶりに、はじめてアルバムのライナーノーツを読んだ。
このライブの時は、もう契約されているライブをただこなしているだけで、グループの4人は全く口を利かなくなっていたそうだ。
管理されることへの不満をライブにぶつけていたらしい。
荒々しい気持ちの入ったライブの源は、やはりロックの基本スピリッツ「自由」への扉をたたくことだったようだ。
クマコラム
20000229
えんやとっと、えんやとっと!
えんや魚、えんや魚ではないのだ。
イギリスのアーティストのエンヤの曲想なのだ。
エンヤとっと、エンヤとっと!
最近のオムニバス盤(ベストアルバムのこと)の中に新曲が2曲ほど入っていた。
通して聞いてみるが、新曲が新曲らしくない、今までと同じでこちらの期待を裏切らない、ここちよい曲想なのだ。
こちらが、やっぱりほしかったエンヤとっとなのだ。
これは、何を?と深読みしてみる。
ベスト・アルバムが売れるように?
次のアルバムも期待を裏切らないからと念を押すように?
「やっぱり私はこれしかできないの!」ということ?
「いや、私はこれに命を懸けてるの!だって、好きなんですもの」
第4者をとりたい。くまとしては。
「好きだから、それに打ち込む。」
「好きだから、そうしたい。」
プロジェクトを進行していくうえでは、「好き嫌い」で進めていくのは言語道断。
何故ならば、多数決で、合議していくのだから、プロジェクトは。
プロジェクトがうまくいくことが目的なのだ、エンヤ個人の成長と人生ではなく。
プロジェクトとはそんなものだと思う。
多くの人達の、価値観の違う人たちの合議で運営していくもの、合議って、何・・・・?
妥協の産物・・・・?自分がない人たちの多数決・・・・・?
県警達のカンカン接待、官官んん・・?
そんなことは、どうでもいいけれど、自分の価値観で世界を造っていくことほど難しいけどやりがいがあるものはないと思う。
合議制(会員制みたいでいやだけど)でなければやれない世界は、筋の通ったモノ、こと、ができないのだ。
ワンマン、おやまの大将、が決めていく。
それでいいのだ。そのほうがいいんじゃないか?
JR東京駅で、かわいい犬達を10匹程つれて、遠くを見つめている男を背景に「ご主人様はひとりでいいのだ!」とのポスターを見た。
なぜか、同感した。
日々、マックの向こうの眼下に広がる葉山の海を見ていると、「これでいいのだ!」と腹巻きしているバカボンの父になっている自分に苦笑いする。
「遠くをイカに見ることができるか、遠くを見てイカに今を判断できるか」
そして、「これでいいのだ」と笑い飛ばせる人間になれるかと。
そんな想いが、「ご主人様はひとりでいい!」という広告に反応してしまった。
どんな気持ちが根底にありながら、エンヤが新曲2曲をオムニバス盤に入れても、それでいいのである。
えらそうだが、それでいいのである。
エンヤは、遠くを見ていて、今を表現しているかどうかはわからない。
食うためにやっているのか、食わせるためにやっているのかわからない。
でも、その次は、自分の気持ちやこころの肥やしを蓄えるためにナニかをやると思う。
スティーリーダンが新しいアルバムを出すらしい・・・・・・。興味津々。
クマコラム
20002011
〜
この度は、WaveRadioシリーズをご購入いただき、誠にありがとうございました。
通信販売ということで、実際に商品をお確かめいただくこともなしに、弊社のブランドをご信頼かつご購入までいただきましたことを、関係者一同、心より感謝いたしております。
このようなお客様の信頼とご期待に添えるよう、今後も企業努力を続けていく所存でございます。
また、製品のお届けまでに、大変長期間お待ちいただきましたことを深くお詫び申し上げます。〜
との文面と共にボーズのCDラジカセが届いた。
オンラインでの買い物だった。
購入後、2年もするとどこかがおかしくなってくる安物CDラジカセに嫌気とメーカーの策略にうんざりしていた。
そんなときにこのWaveRadioを雑誌の広告で見たのだ。
早速、ホームページにアクセスし、気がついたら申し込みフォーマットに必要事項を打ち込んでいた。
次の日、「ただいま、申し込みが殺到していて、2週間ほどお時間をいただくことをお詫び申し上げます。」
といったメールが届いていた。
ふ〜ん、クイックレスポンスなんだなぁ、と感心していた。
この手の趣味のものは、どうしても必要なもの以外、店頭で「しばらく時間をいただきます」となると「じゃあ、いりません」となるところだが、オンラインショッピングでは、断る気にならないのが不思議だ。
注文したのを忘れていた昨日、宅急便が届いた。
包みは、何が入っているかわからない普通の段ボール。
よくよく見ると、送り主のところに小さくボーズと書かれていた。
開くと冒頭の文面、細かいところに気がつく、好印象を受けた。
早速、鳴らしてみた。
セットしようと持ち上げると重い!さすがに安売り家電店のそれとは違うようだ。
期待感が高まる。
バロック、ジャズ、ベックと聞き比べる。
タンノイとも聞き比べる。
う〜ん、音質の違いはあるものの、音を楽しむレベルはどちらも非常に高いのだ。
ボーズは、中音が前にしっかり出てくる、ジャズ、ベック向き。
タンノイは、緻密に定位が広がるクラシック向き。
ボーカルものは、ボーズかな?
はっと、気がついたのだが、定価で7万円と50万円の違いは全然感じられない。
ボーズ博士に拍手拍手のなかで眠りについた。
目覚まし時計にもなるボーズなのであった。
クマコラム
20000206
我が家にタンノイの同軸一発スピーカーがやってきた。
貧乏建築家崩れ旧友の質草として、私が奴のところから持ってきたのだ。
同時にCDも40枚弱、預かってきた。
今月の家賃が払えないというのだから仕方がないのだ。
質草のかわりに10万円置いてきた。(笑)
ところで、タンノイって何?という方のためにちょっとだけコメント。
イギリスのオーディオ・スピーカーで、音が奥に広がるスピーカーとしては世界で一番といわれるもの。
特に弦楽器やピアノの音色がすばらしいともいわれている。
そんな立派なスピーカーのことなのだ。
そうなるとやはりクラシック音楽が聴きたくなってくる。
うまい和食にはやはり日本酒が欲しくなってくるように。
クマは、高校生時代バロック音楽から始まって、ドボルザークあたりまでは聞いていた。
いいスピーカーがやってきたのだ、やはりバッハのブランデンブルグ協奏曲5番のチェンバロが聞きたくなってしまった。
早速、スピーカーをセットし、イ・ムジチの5番を聞いた。
う〜ん、元気のいい5番が飛び出してきた。というよりは、広がったという方が正しいか。
ドボルザーク交響曲8番のティンパニも奥の深いいい感じだ。
ベックはやはり少しなじまないようで、JBLがあいそうだ。
しかし、質草として仕入れてきたエンヤのCDがとても良く、奥に広がるタンノイと良くマッチして、彼女の世界にぐいっ!と引きずり込まれてしまった。
クレジットを見るとすべてひとり(作詞作曲は勿論のこと、なんとコーラスから演奏まですべて)でやっているらしい。
今まで、あまり詳しく知らなかった彼女のことだが、なんだか強烈な才能に思いっきり魅了されてしまいそうだ。
これは、タンノイのせいなのか、彼女のせいなのかわからない。
もしかしたら、家賃を払えない貧乏建築家崩れのせいかもしれない!?
クマコラム
19990818
少しだけ風に秋が入ってきた。
でも海はまだ青々している。
今朝、久しぶりにアメリカン・モーニング(R・ヴァンウォーマー)を聞く。
20年あまりの歳月を飛び越え気持ちが洗われる。
ポパイを読みあさり、愛車のオンボロ・ビートルにボードをくくりつけ波を求めて房総半島をさまよっていた。
ある暑い夏の大原のポイント、白い砂は熱く焼けてジッとしていられない。
焼け付く砂浜を走り抜け、海に飛び込みパドリングを始める。
ウッと息を飲み込むほど水が冷たかった。
照りつける太陽と裏腹に寒流が入り込んできていたのである。
手足が痛くなるほどだった。
ボードにまたがり波を待つ上半身は太陽に照りつけられ、水に浸かっている下半身は冷やされて、不思議な感触だった。
波は小さかった。
寒流のせいであろうか、水は澄みきっていた。
小さな波が踊るとその中で小さな魚がアクリル板に封印されているように透明に浮かび上がる。
とても美しい空の青と透明の水が織りなす生きた水族館のようだった。
波に揺られ、美しい光景のなかに自分もとけ込んでいた。
しかし、大波にもまれて、死にそうな思いもしたこともある。
自然はとてつもなく懐が深い。
過信してはいけない。
恐怖感を常に持つことが外遊びの鉄則。
今回の大雨の事故はその教訓だ。
その反面、大きな懐に優しく包んでくれることも多い。
自然のなかでは素直におびえ、素直にとけ込み従うことが、楽しむコツだろう。
20年経っても、焼ける砂浜とアクリル水族館は鮮明に記憶されていた。
さわやかな歌声とともに。
クマコラム
19990401
私の好きなミュージシャンにトム・ウェイツがいる。
都会で生きるために深夜のバーで皿洗いをしていた。
バーが終わったあと人気のない店で毎晩朝まで曲を作っていた。
自分の生きる道を探していたらしい。
思うようにならない人生を曲に託して。
あきらめず、卑屈にならず、夜の裏町に生きるどぶネズミのような自分を信じて曲を作っていた。
彼の曲には素直に自分を表現する部分があるから私は好きだ。
夜の都会の裏町を歌わせたらアメリカで一番だといわれるまでになった。
最近彼の消息を聞かない。どうしたのだろうか。
私の中の彼は、LP「クロージングタイム」の吸いがらでいっぱいになった灰皿が置かれるピアノの前でうなだれる午前3時23分の姿しかない。
自分ができることを精一杯やっていたしわがれ声の等身大の彼が大好きだ。
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